2024/04/22

真・善・美





真に伝え難いものを芸術が暗示してくれることがある。
「美」を通しても人は「永遠なるもの」にたどりつく。
究極の存在は「真 善 美」であらわれる。
ひとは生まれつき、このうちのどれかが優勢である。
それを各自で求めていく。






2024/04/19

ヨーガの中に秘そむリズム

 


ハタ・ヨーガは、「瞑想」「プラーナヤーマ(呼吸法)」「アーサナ」の三つの要素でできています。私の教室でも、この三つを必ずセットにしています。どれかひとつを集中しておこなうよりも効率がよく、上達も早くなるからです。

相乗効果が生まれるというよりは、瞑想もプラーナヤーマもアーサナも、やっていることは同じだからです。どれも同じ呼吸のリズムでおこないます。「ヨガ」ではなく「ヨ〜ガ」リズムで。サンスクリットの「 O 」は音を伸ばすことが多いので。

つまりこういうことです。「ヨガ!」と勢いよく息を切るのではなく、「ヨ〜、ガ」と入りは弱く、全体の四分の三あたりに力のピークが来るように、息をなが〜く吐きながらおこなうのです。



書籍『いのちがひらく 原初のヨーガ」(塩澤賢一・著 新泉社) P15より抜粋。







2024/04/15

仙骨と尾骨・動きの中心

 



すべての動こうとする意思は仙骨の下部先端、
尾骨のつなぎ目から始まり、全身に波及する。
そして動きが始まると同時に仙骨先端に力が集まってくる。
扇を開くと要に力が集まるのと同じ。




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2024/04/12

気持ちのよいアーサナ

 



アーサナはゆっくり行われるが、単なるスローモーションではない。
その中に長短、強弱、緩急の変化がある。
特に最初の動きはじめに力を入れ過ぎると、
後半の山場に余力を残すことができず、
気持ちのよいアーサナは生まれない。

生命は、リズムで表現される。






2024/04/08

究極のシャバアーサナ

 



ここでもうひとつ言っておきたいのは、ラマナ・マハリシの「死の体験は、ハタ・ヨーガの技術でいうところの「シャバアーサナ(屍の姿勢)」の完成したものであり、「ケーワラクンバカ(呼吸の自然な停止)」である、ということです。
仰向けで床に横たわるシャバアーサナは、現代のヨガでもリラクゼーションの方法としておこなわれていますが、じつはこれほど奥の深いアーサナもありません。リラックスのあまり、そのまま寝てしまう人も多い姿勢ですが、それでも体のどこかは必ず緊張しているので、それらをすべて抜いていく必要があるのです。
シャバアーサナは高度な瞑想技法であり、全身が完全に弛緩すると、地面から浮く感覚が得られます。「重力からの解放」という表現がぴったりで、深い気づきが訪れるのです。


書籍『いのちが目覚める  原初のヨーガ」(塩澤賢一・著 新泉社) P22〜P23より抜粋。




写真:ラマナ・マハリシ 






2024/04/06

ヨーガの生命観

 



人が「私」という心と身体で成り立っていたら、
ヨーガがこの世に無くても一向に構わない。
人と世界はもう少し精妙。

ヨーガが主張する五つの鞘も、それに包まれた本質も、言葉の表現はいろいろだが、すべて存在している。
ヨーガはそれらに足場を置いたシステムで、近代生理学とは立場が異なっている。

それを、あとは自分で確かめるしかない。







2024/04/03

吸う・吐く・止まる

 


呼吸は吸う吐くに二つで成り立っていない。
吸ったあとの短い停止。
吐いたあとの短い停止。
この四つでできている。

それは心臓が膨張したあと、わずかに停止し、
収縮したあとも、わずかに停止して、
運動しているのと同じだ。

この二つの停止期がないと運動は成り立たない。
ブランコの揺れも二つの停止点の間の往復で成り立っている。








2024/04/01

ハタ・ヨーガ、太陽と月と中央

 


心を鎮めるのがヨーガの瞑想だとしたら、
アーサナ、プラーナヤーマも紛れもなく瞑想である。
意識的な体の動きと、その維持、呼吸の流れに注意を向けると、
通常の思考の動きが、自動的に押さえられる。
頭脳の働き方が自然のうちに変わる。

ハタ・ヨーガは「「力を以て心を制御する」が本来の意味だが、
ハ(太陽)タ(月)のヨーガという説明の方が本質をよりとらえている。
微細な身体を流れる中央、太陽、月。
この三つのルートの開発をもとにしているからだ。